産業キャリア教育プログラム~授業紹介~
トップ> 産業キャリア教育プログラム~授業紹介~> 【技術論3】KDDI 第1回「電気通信技術の発展史概要」
本日から、KDDIの濱井先生による講義がはじまりました。初回は電子通信技術の発展ということで、歴史的変革から電気通信の発展まで、物理の授業などで習ったことのある法則や技術と電気通信の発展の関連についてお話いただきました。
1. はじめに 電気通信技術の歴史的変革
2. 電気・磁気の発展
3. 電信・電話の発展
4. テレビの発展
5. エレクトロニクスの発展
6. コンピュータの発展
7. 情報通信技術概論
8. 日本の電気通信の発展
9. おわりに
今や、音楽配信や画像配信がネットを通じて行われている。ユビキタス社会へと向かう現代。その電気通信技術の起源はどのようなものだったのでしょうか。
1838年にモールスが電信、ベル・エジソンが電話を発明してから有線、無線へと発展し、アナログ通信からデジタル通信へと移行するにつれて大容量化を実現していきます。そして1946年のENIACの発明からコンピュータ通信がはじまり、光ファイバーの普及、IP化からデジタル移動無線へと発達していくというのが大まかな流れです。
キリスト教普及時代は科学的に大きな発展はありませんでした。この頃はイスラム圏の方が発展していて、ヨーロッパは「暗黒の中世」でした。ルネッサンス時代から再び発展しだします。13世紀に羅針盤が発明され大航海時代が到来。18世紀になって、今の通信技術の元になる物理法則が発見されました。この節では重要な物理法則の発見について、どのような人物が何を発明し、どのように使われていくのかを学びました。
最初の通信方式は、シャッベの腕木式通信(1791年:テレグラムと呼称)でした。モールスの電信機が発明されたのは1837年、ベルの電話機は1876年に発明されました。
Morse (1791~1872)は、1832年の大西洋横断中にアイデアを着想し、1837年に電磁石応用の電信機を発明、1840年に特許を取得。共同研究者のアルフレッド・ヴェイルが電信機用の符号を発明しました。
Bell (1847~1931)は電磁方式のマイクの電話で特許を取得しました。理論重視の人でベル電話会社を設立しました。これが後のAT&Tです。
Edison (1847~1931)は1876年にメロンパーク研究所を設立。後のGEです。電話の特許でBellに負け、その悔しさをばねに1877年ベルの電話を改良したカーボンマイク式電話機を発明しました。これがその後の電話機の原型です。実はある青年が特許を出していましたが、その青年を雇うことで、自分の特許にしました。1877年蓄音機を発明、1879年白熱球を発明、1880年に発電機を発明・・・すべて数式で書かず図絵で書きました。それを実現する技術者が傍にいたのがポイントです。実学重視で理論を嫌った人で、特許を数多くとりますが、理論嫌いが災いし、深みまでいけないこともありました。
Marconi(1874~1937)は、 1895年無線電子実験に成功し、1897年に無線電子機の特許を取得しました。マルコーニ無線電子会社の設立も行っています。
Braunが1897年に陰極線オシログラフを発明しました。俗に言うブラウン管です。日本の八木、宇多両先生も貢献しています。八木アンテナというアンテナ技術です。この技術は、日本よりもイギリス、特にイギリス軍が重視しました。1942年に日本軍がイギリス植民地だったシンガポールの占領で英国のレーダに八木アンテナが利用されているのを発見したという実話があります。1952年には八木博士は八木アンテナという企業を立ち上げました。
ベル研究所所属のBardeen、Brattain、Shockleyの3人が1947年に点接触トランジスタを発明しました。日本の江崎玲於奈(1925~)も貢献しています。細かく分けて実験していたら発見したのがトンネル効果で、1957年エサキダイオードを発明しました。Kilby(1923~2005)が1958年にTI社において集積回路の基本特許の着想をしました。
1939年にAtanasoffが世界初のABCマシンを発明、1946年にMauchlyが汎用コンピュータENIACを完成、1950年にUNIVACIを完成、1945年にNeumannがEDVACの設計を完了しました。
Shannonは、情報処理理論の基礎を築いた人です。情報量という概念を提案し、情報。通信・暗号・データ圧縮・符号化の先駆的研究を行いました。標本化定理、シャノン・ハートレーの定理を作った人でもあります。シャノン・ハートレーの定理は、軍が利用して周波数拡散方式の発明の原点となりました。この方式は、ジャミングがあってもそれに耐えられる通信方式として利用されました。その後、さらに民生用にも開放されて軍事技術が民生技術として上手く利用できた事例です。 アーランはトラヒック理論、待ち行列理論の祖です。統計学者で、ポアソン分布を適用しました。通信単位のアーラン、トラヒック理論としてのアーラン分布、アーラン式で有名です。
通信方式についてのお話も伺いました。変復調方式として、AM方式、FM方式、PCM方式があります。多重方式としてFDMA方式、TDMA方式、CDMA方式の3つがあります。伝送方式としては無線伝送、ケーブル伝送、光伝送があります。無線伝送としてはマイクロ無線伝送、衛星通信、移動体通信、無線LANがあります。ケーブル伝送としてはメタリック・同軸伝送、ISDN、ADSL・SDSLがあります。光伝送は光ファイバー通信、光無線通信があります。
この節におけるお話は示唆に富んだものが多かったです。技術黎明期の発展条件や、マーケット原理、日本の通信需要の歴史的推移についてなどのお話を伺いました。情報交換の活発な環境、特に国外から自由に優秀な人材を受け入れるなどの環境が新たな発見と発明を呼ぶ、かつてはその場はヨーロッパだったが、それがアメリカに移った、というのは確かに、時期的にヨーロッパからアメリカへ政治・経済の中心が移った時期と重なります。
日本はゲームで稼いでいる、アプリケーション、加工産業、アイデアがある技術をさらに発展させるのは得意だが、基礎となる元のアイデアを生み出すのは苦手で、技術力はあるけど開発力に劣るというお話もありました。また、日本はインターネットよりも携帯電話によるメールサービスが先に普及しました。それはインターネットの料金が高かったためです。これはアメリカとは大きく異なる特徴です。
印刷革命、産業革命、コンピュータ革命、情報通信革命と進行してきた技術革命ですが、今後はユビキタスネットワークが進行するだろうと言われています。
(2008.5.29 担当K)